2017年06月19日

死の迎え方

 ラマダン(断食月間)もあと1週間程度で終わる。今年もやはりラマダン中に断食をして亡くなる方がいた。断食をしたから亡くなったのか持病があったから亡くなったのかそれは分からない。エジプト人に糖尿病や高血圧は多い。コーランには、病人は断食をしなくて良いとあるのにどうしてやるのかわからなかったが、最近はやらざるを得ない周りからの圧力やイスラム教徒としてのアイデンティティーのためだというのが分かってきた。
 「(断食)やらないんだ?」のこの一言でイスラム教徒は深く傷つく。断食は苦しい修行のようなもので、これに耐え抜くのは強い精神力を持った信仰心の篤いイスラム教徒の証だ。天国への扉も近くなる。
 ラマダン中に亡くなると「ハンドレラー(神様ありがとう)」と神聖な月に亡くなったことを喜ぶ。喜ぶというのは、語弊があるが少なくとも神聖な月に命が尽きるということはよいことなのだ。
 エジプトに来たばかりの時は、健康上問題があるのに断食をして亡くなったかもしれないのに「ハンドレラー」はおかしいと思っていた。しかし、自分が年を取ってくるにつれ、自分の信念のためにした行動で、あっさり死ぬのも悪くないかもしれないと思うようになった。イスラム教の人々は、亡くなってしまったら原因はあまり問題にしない。
「時が来たのだ。」と死を受け入れる。
posted by エジプト日誌 at 08:38| 日記